安産祈願:東京23区内の安産祈願の神社を厳選しました。

授与品は、尺木札・八難除御守・八難除守護札・御神土・御神米・御神酒・御神塩・願意別御守・御神箸です。

初穂料

5,000円〜

住所

東京都杉並区阿佐谷北1-25−5

多摩川浅間神社:東京都大田区

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由来

多摩川浅間神社の創建は今から八百年前に遡ります。鎌倉時代の文治年間(1185~1190年)、源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣しました。心配した妻の政子は、後を追いかけましたが、わらじの傷が痛み、多摩川畔で傷の治療をすることとなりました。政子が逗留中に亀甲山に登ると、富士山が見れました。

富士吉田の地には、自身の守り本尊である「浅間神社」があり、政子は、その浅間神社に夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」を建てました。以来、住民からは「富士浅間大菩薩」と呼ばれ、親しまれています。

承応元年(1652)5月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。
片足がなかったため足を鋳造してお祀りしています。境内には撫でると安産になる石があります。

初穂料

5,000円〜

住所

東京都大田区田園調布1-55-12

雪ヶ谷八幡神社:東京都大田区

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由来

祭神は、誉田別命(第十五代応神天皇)です。創建は永禄年中(西暦1557~1569)と誌され、北条左京太夫氏康の家臣の大田新六郎が管内巡視の際、法華経曼荼羅の古碑を発掘し、そのめでたいことの前触れにより八幡大菩薩を創祀しました。旧中原街道沿道で1番由緒深い神社として人々の崇敬のもとに、雪ヶ谷の里の鎮護の神として信仰されてきました。

境内は、氏子崇敬者の御霊を祀る斎霊殿、末社八社、大田区文化財指定庚申供養塔群、大横綱大鵬関奉納の出世石がある鎮守の杜に囲まれています。母である神功天皇と子である応神天皇との関係から母子神の信仰があります。

住所

東京都大田区東雪谷2-25-1

羽田神社:東京都大田区

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由来

羽田神社は、須佐之男命と稲田姫命のご夫婦二柱をお祀りしています。鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王をお祀りしたのが始まりとされています。そのため、羽田神社を「てんのうさん」とも呼ばれ親しまれています。

徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などの武家に厚く信仰されました。文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延した時、将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し、治癒したと言われています。

明治元年(1869年)、自性院境内にお祀りされていた牛頭天王社は八雲神社として独立し、明治40年には羽田神社と改称されました。明治初年に造られた「羽田富士」は、富士を模して造った築山で、大田区文化財に指定されています。また羽田の「氏神様」として航空会社各社の崇敬も篤く、運航安全・航空安全祈願の参詣者が訪れます。

住所

東京都大田区本羽田3-9-12

大森 浅間神社:東京都大田区

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由来

大森浅間神社の主祭神は、木花咲耶姫命です。浅間さま、お富士さんと呼ばれ、親しまれています。今、霊山と仰がれる富士山山頂に祀られている浅間神社は、元宮幣大社浅間神社の奥の宮です。この富士山に「六根清浄」を唱えながら登り、浅間信仰に基づいて、各地に勧請奉斉されたのが浅間神社です。安産・子育て・縁結びの守護神・防火の神として知られています。

富士山本宮浅間大社(富士宮市鎮座)は、第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人々が恐れたため、第11代垂仁天皇は浅間大神を山足に、山霊を鎮めたのを起源とします。第12代景行天皇の御代日本武尊が東夷征伐の時、駿河国において賊徒の野火にあいました。

しかし富士浅間を祈念するとその災いから逃れることができ、賊徒を征服しました。 日本武尊は、山宮の地にて篤く、浅間大神を崇敬しました。第51代平城天皇の大同元年、坂上田村麿勅により、現在の地に社殿を建立し、山宮から遷しました。それから1100余年、全国浅間神社総本社として崇敬を集めています。大森浅間神社はその流れをくんでいて、富士浅間とも称せられます。江戸時代当時、盛んであった山嶽信仰により、富士浅間神社を東海道通路の要衝である大森の地に勧請したものと伝わります。

住所

東京都大田区大森西2-2-7

江北氷川神社:東京都足立区

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由来

江北氷川神社の祭神は、須佐之男命です。古来より須佐之男命を治水守護神として祀られていました。荒川を出雲国のひの川の故事を習い、氷川神社を創建したと考えられています。

江北氷川神社の創建年代は不詳ですが、沼田村の鎮守社でした。江北氷川神社一帯は、『足立姫伝説』発祥の地で、江戸時代には「六阿弥陀詣」の参詣者で賑を見せました。『足立姫伝説』とは、 今から約1300年前 聖武天皇の時代、武蔵国足立郡に足立長者の娘・足立姫の伝説です。足立姫は十七歳で、隣の豊島郡の豊島左衛門清光へ嫁ぎました。

しかし、清光の母が姫に辛くあたり、里帰りしたとき沼田川のほとりで姫は入水し、侍女5人たちもつぎつぎと入水しました。長者は、娘と侍女たちの霊を弔うため、熊野本宮に参ると、「私が子どもを授けたのは、そなたを仏の道に導くためであった。今後は新たに仏像をつくり、広く衆生を済度せよ。」とお告げがありました。

行基は六体の阿弥陀仏を刻み上げました。長者は、六ヶ所に寺を建立し、六体の阿弥陀仏を六ケ所の寺に安置しました。江戸時代に大変流行した春秋の彼岸の六阿弥陀詣は、江戸近郊を丸一日かけて廻る巡礼で、足立姫伝説に習い、江戸の東郊に置かれた六阿弥陀、木余りの阿弥陀を含めて七ヶ所を巡るものです。

明治初年村社に昇格し、同時に旧江北村(沼田、鹿浜、鹿浜新田、加賀皿沼、高野、谷在家、宮城、小台、堀之内)九ヵ村の総本社となりました。腹帯、さらしは、自分で購入したものをそのまま持参します。コルセットやガードルタイプの腹帯でもお祓いをしていただけます。

住所:東京都足立区江北2-43-8

桜神宮:東京都世田谷区

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由来

ご神体は「御鏡」です。明治初期に伊勢神宮・祭主久邇宮朝彦親王(当時は賀陽宮)が信任を寄せる芳村正秉に御親らを分霊していただきました。御鏡にご祭神の分け御霊をお納めしてご神体となりました。この御鏡は伊勢神宮天照坐皇大神にお鎮り頂いています。

明治15年5月15日 政府は「神社の神官は人を教え導いてはならない」 と方針を変更しました。大中臣家の65代の後裔で伊勢神宮の(筆頭)禰宜であった芳村正秉は、この方針をに危機感を抱きました。 大中臣家は天児屋根命を祖神とし、神代より宮中祭祀を司る氏族です。このため布教もできるように明治天皇より勅許を得て、教派神道十三派の一派を立てました。 名称は伊勢神宮の禰宜時代に倭姫命神託により「神習いの教」と称しました。以来、当古式神道を受け継ぐ大神の宮、教えの本山として知られています。社殿は明治16年東京市神田に創建されました。

明治後期には「病気治し」「火伏せ」の神徳があると信仰を集めました。大正8年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転しました。これにより、神田界隈の火災と第二次大戦時も無事戦災から免れ、「災難よけ」でも崇敬されています。

初穂料

5,000円〜

住所

東京都世田谷区新町3-21-3

池尻稲荷神社:東京都世田谷区

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由来

池尻稲荷神社は、今から350年前の 江戸時代初期、 明暦年間に旧池尻村・池沢村の両村の産土神として創建されました。古くから「火伏せの稲荷」、「子育ての稲荷」として信仰を集めています。当時は、大山街道(現在の旧道)のほとり常光院の片隅に勧請されました。そこは、当時矢倉沢往還(現在の二子玉川方面道路)と津久井往来(現在の上町方面道路)の二つの街道から、人々が角屋・田中屋・信楽屋の三軒の茶屋(三軒茶屋の起源)で休憩して江戸へ入る道筋でした。また、江戸から大山詣での人々が大坂(現在の旧山手通りと大橋の間の坂道)を下った道筋でした。このため旅の道中の無事を願う人々の信仰が篤かったと伝えられています。

現在、境内本殿より東側の由緒書き掲示板の下には「薬水の井戸」 があります。京都の伏見稲荷大社の稲荷山に鎮座する薬力明神の託宣によると神の道を信じて、その病気が治ることを心に三度祈り、神の道の薬として飲みほせば薬力明神の力により病気は立ち所に快癒すると伝えられています。

住所

東京都世田谷区池尻2-34-15

亀有香取神社:東京都葛飾区

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由来

祭神は、経津主大神、武甕槌大神、岐大神の3柱です。「日本書記」にご祭神の様子が記されています。

天照大御神が日本を治めようとしましたがうまくいかなかったため八百万神々は、日本の国々に派遣する神様は経津主大神がふさわしいと申し上げました。そこへ武甕槌大神は、共に出雲に派遣されました。経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀に着いて十握剣を抜き逆さに突き立て、武威を示しました。すると大国主神から平国の広矛を受け取り、二神は円満に国譲りを実現しました。更に岐大神の道案内、先導により国内を巡行し、荒ぶる神々を平定し日本建国の基礎を築きました。

今から約730年前、鎌倉時代建治二年八月十九日(西暦一二七六年)、当時亀有の地は下総国葛西御厨亀無村と称しました。香取大神宮の神領地であったことから本宮の御分霊(経津主大神)をいただき、村の鎮守様としてお祀りしました。その後、鹿島(武甕槌大神)・息栖 (岐大神)の両大神を合祀し、東国三社の三社明神のお社として村人・近隣の人々の信仰を集めています。

初穂料

5,000円〜

住所:東京都葛飾区亀有3-42-24

篠崎浅間神社:東京都江戸川区

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由来

当社は天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内で最も歴史のある神社です。承平2年(932)に下総国弥山から移住した弥山左那比神人が初代宮司となりました。天慶3年(940)、平将門の乱を鎮圧するめに平貞盛が派遣されました。貞盛は将門が降伏するように祈願し、篠崎浅間神社に霧島神社を祀り、金幣と弓矢を献じ、武運を祈りました。