社会生活において、没個性であることは時として美徳と捉えられる日本。
しかしながら、画一的であることが将来において確たる保障をもたらしてくれるわけではないことも、また事実なのです。
これからのグローバルな社会では、平均的であるということが遅れを取ることにもなりかねません。
子供達に芽生えたユニークな個性を如何に伸ばすかが、子を持つ親の新たな使命と考える必要があるでしょう。
違うということに訂正を強いてはいけない
例えば、幼稚園でのお絵かき発表会。人物画ならば髪の毛は黒く、顔は肌色に描く子が殆どでしょう。
壁一面にたくさん貼られたお絵かきの中で、我が子だけが顔を茶色や黒色で塗っていたらどうしますか?
「お顔は肌色のクレヨンじゃないとダメ!」と批判的なコメントを発してしまうか。はたまた「オバマ大統領を描いたのかな?」と心の中を理解しようと歩み寄れるのか。あなたの第一声が、その後の伸ばすべき個性や可能性を左右するのです。
顔を茶色で描いた子は、オリンピックやワールドニュースを見ることで、既に世界には色々な人達がいることに気付いたのかもしれません。