京都府の安産祈願の神社&寺を厳選しました。
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伏見稲荷大社:京都府京都市
由来
主祭神は、宇迦之御魂大神、配神佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神の四大神です。
和銅年間(708 – 715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まります。
秦氏にゆかり深い神社で和銅以降、秦氏が禰宜・祝として奉仕しました。
稲をついて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産んだことから、そこが社となりました。
伊侶巨秦公の子孫は、その社の木を家に植え、寿命長久を祈ったとされています。
安産祈願では、「安産祈祷」の神札とお祓いした腹帯が授与されます。
初穂料: 10,000円
住所: 京都府京都市伏見区深草薮之内町
電話: 075-641-7331
松尾大社:京都府京都市
由来
御祭神は、大山咋神です。
太古より、京都市西京区一帯に居を構えていた住民が、 生活の守護神として 松尾山の山霊を大杉谷の上部の磐座にお祀りしたのが始まりとされています。
5〜6世紀の頃、 朝廷の招きにより秦の始皇帝の子孫と称する秦氏の大集団が、この地方に来ました。
秦氏の首長は松尾山の神を同族の総氏神とし、新しい文化を取り入れて開拓を進めました。農業が進むと次第に他の諸産業も栄え絹織物なども盛んになりました。
なかでも酒造は秦一族の特技で、桂川に堤防を築き、室町時代末期以降、松尾大社が「日本第一酒造神」と有名になりました。
経済力と工業力を掌握した秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として活躍しました。
文武天皇の大宝元年(西暦701)に秦忌寸都理の勅命により、山麓の現在地に神殿を造りました。
山上の磐座の神霊を社殿に移し、知満留女を斎女として奉仕し、その子孫が明治初年まで幹部神職を勤めました。
初穂料: 8,000円、10,000円、20,000円
住所: 京都府京都市西京区嵐山宮町3
電話: 075-871-5016
大蓮寺:京都府京都市
由来
大蓮寺の本尊は阿弥陀如来、開基は専蓮社深誉上人、通称「安産祈願の寺」として知られています。
慶長5年(1600年)深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まります。
深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことを残念に思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置しました。
後に、この阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることが判明し、返還されることになりました。
このことを残念に思っていた深誉が21日間の念仏をしたところ、最後の夜に旅の僧があらわれました。僧と共に念仏を唱えましたが、翌朝には僧の姿はなく、本尊阿弥陀如来が二体になっていました。
そのうちの一体を本尊として安置したのが大蓮寺の始まりです。
のちに後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産であっため、大蓮寺で安産祈願したところ第一皇女の孝子内親王が無事生まれました。
同内親王は大蓮寺を深く帰依し、後に髪を編んで名号として同寺に納めました。
住所: 京都府京都市左京区東山二条西入1筋目下ル457
電話: 075-771-0944
由岐神社:京都府京都市
由来
祭神は大己貴命、少彦名命、相殿は八所大明神です。御祭神は国を治め、医薬の道をお授けになった医薬の祖神です。
由岐大明神は御所にお祀りされておりました。
しかし天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)がありました。
このため 天下泰平と万民幸福を願い、当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所の北方にあたる鞍馬に遷宮されました。
御遷宮の時、京の鴨川にあった葦で松明を造り、道中には篝火を焚き、神道具を先頭にした行列が10町(1Km)続くという国家的一大儀式が執り行われました。
これが火祭の起源となりました。
戦国時代、豊臣秀吉の信仰も篤く、慶長12(1607)年には豊臣秀頼により、本殿と拝殿が再建されました。
拝殿は中央に通路をとった割拝殿で桃山時代の代表的建造物です。現在、国の重要文化財にも指定されています。
初穂料: 8000円〜
住所: 京都府京都市左京区鞍馬本町1073
電話: 075-741-1670
地蔵院安胎寺:京都府京都市
由来
浄土宗の寺院で平安初期に創建されました 。
文徳天皇の后である染殿皇后が懐妊された時、予定日を越しても出産の徴候がありませんでした。